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2017年07月11日

日本のいちばん長い日

日本のいちばん長い日

2015年、松竹。原田眞人監督。

日本のいちばん長い日

1967年、東宝8.15シリーズの一作として製作された「日本のいちばん長い日」は、今もなお日本戦争映画の金字塔として名高い。明治の健軍より対外戦争は負け知らずの大日本帝国が、ついに万策尽き、ポツダム宣言を受託して連合国に降伏するまでを描いた。
多くの国民が知らない、終戦をめぐる各省の工作合戦と、終戦を受け入れない一部軍人による反乱事件の顛末は、現代にも通ずる教訓でもある。

2015年、この傑作の名を継ぐ映画が封切られた。なんといってもこの映画の売りは、67年版では声のみだった昭和天皇が、本木雅弘の好演により頻繁に画面に表れることである(67年版は8代目松本幸四郎)。
もはや挽回の兆しの無い絶望的な戦局を前に、自らの統べるこの国をどうして守りきるのか、昭和天皇の苦節と葛藤が物語の大きな部分を占め、より「人間として」描かれていた。この点、67年版はまだ昭和天皇がご存命であったためか、カットとしては顔はほぼ映らず、吹上御所を散歩されるシーンも無かった。

それにしても本木雅弘は良くこの大役を務めたものだと思う。天皇として振る舞いつつも、阿南陸軍大臣やお付きの侍従たちと言葉を交わす場面に堅苦しさはなく、特に「あ、そう」と答えるこの自然さ、これはぜひ押したい。実際の昭和天皇も「あ、そう」と軽く答えることがあったそうで、この何気なさを表現することがどれだけ役者の腕にかかっているか、その重みと役者魂を感じた。
(国を統べる、と書いたがこの当時の日本は既に立憲君主制であり、天皇には内閣の決定に対する拒否権は無かった)。



1945年7月26日、連合国からポツダム宣言が発表され、日本は無条件降伏を突き付けられる。
内閣は当初、東郷茂徳外務大臣の「この講和を拒否すれば重大な結果を招く」という意見を支持し、この宣言を政府見解を挟まずに公表した。だがマスコミは一斉にこの宣言を非難(「白昼夢、錯覚とまでこきおろした」)、陸海軍の強硬な態度もあって「政府としては重大な価値あるものとは認めず「黙殺」し…」との見解を追加で発表。これが世界では「黙殺」→「拒否」ととらえられ、かねてより計画のあった原爆投下、ソ連対日参戦がつつがなく実行に移される。

と、いうわけで映画はここからが本番。宣言を巡って内閣は紛糾するが、阿南惟幾陸軍大臣(役所広司)を中心とする条件付きの受諾あるいは継戦派の反対に遭い会議は難航。8月9日に鈴木貫太郎内閣総理大臣は昭和天皇の列席する「御前会議」を開催し、天皇自らの意見を求める「ご聖断」を仰ぐことになる。
本来は内閣の決定に口出しできない天皇陛下に、直接国政の重大な決断を迫ることは非常に畏れ多いことであった。

日本のいちばん長い日


ストーリーのミソは、阿南大臣が内心では戦争継続が不可能であることを承知しながらも、あえて会議中では「最低限の条件を呑ませ、できなければ継戦する」との立場を崩さないことだ。 
陸軍内部ではすでに本土決戦への準備が進んでおり、また参謀本部や陸軍省の青年将校たちも本土決戦に非常に意欲的だった。実際、内地にはまだ数百万の将兵がおり、彼らもまだまだ士気旺盛なのだ。
もし陸軍の代表者たる阿南が簡単にポツダム宣言受託に賛同すれば、陸軍内部でどのような反発が起こるか予想ができない。陸軍の面目を保ちつつ、かつ戦争終結に立ち向かう。阿南の選んだ苦渋の決断であった。


日本のいちばん長い日

一方、陸軍省内部では「終戦の動き在り」を察知した一部軍人たちが、徹底抗戦を訴えて阿南大臣を突き上げていた。
特に畑中少佐(松坂桃李)を中心とする青年将校たちは本土決戦をかたくなに主張。阿南にポツダム宣言拒否を内閣で通してくれるだろうという絶大な期待を寄せている。阿南は時に芝居を打ってまで彼らを抑え込もうとするが、「御前会議にて終戦決定」が知れ渡ると、畑中たちは有志を集めてクーデター計画を練り始める。



宮城(皇居のこと)を占拠し、内閣要人や侍従を監禁して天皇に翻意を乞い、本土決戦の決意を改めて発信するのが彼らの目的であった。
しかしいたずらに叛乱を起こせば「賊軍」となることは間違いない。青年将校の動きを知る荒尾大佐(田中美央)は、蹶起に際しては
・東部軍司令官
・近衛師団長
・陸軍大臣
の認可並びに指令書を取り付けることを叛乱条件に付した。
この三者を説き伏せるのは至難の業であるが、「正規の命令」として正当性を与えることによって、二・二六事件のように賊軍扱いされることを避ける狙いがあったのだ。

かくして畑中を中心とする「叛乱部隊」たちは、玉音放送が予定されている15日正午の前に蹶起するため各省を奔走することになる…。



1967年の東宝版「日本のいちばん長い日」を見た時の面白さはいまでも覚えている。たっぷり3時間近い長尺の映画だが、まったくといっていいほど退屈しなかった記憶がある。無駄のないカット回しとスリリングな展開、「終戦」を受け止める人間模様はまさに一級のサスペンスである。

その点、今回の2015年版はあまりにもカットが早く、次々と違う場所が映し出されなかなか整理できない。
「宮城事件」の顛末をある程度知っていないと理解できない内容だ。1967年版が優れている点はここにある。

例えばだが、「上奏」という言葉を聞いただけではなんのことかワカランチャイだ。だが67年版では解説を入れることなく、人物の動きやストーリーの流れから自然と「上奏」が天皇への報告であるということを察することができる。2015年版はこの点不親切で、「東部軍」や「陸軍省」や「近衛師団」といった組織があまりストーリーのなかで際立たず、違いが分かりづらくなっている。こうなると畑中たちが何のために何を必要として動いているのかがイマイチ分からなくなってしまう。

またこんなことを言っても仕方ないのだが、平成世代の顔立ちやスタイルはどうしても旧軍の軍服とはミスマッチである。
67年版では軍服であろうが宮中の燕尾服であろうが、全員がビシッと着こなしていた。「何百回も着た」雰囲気が非常に良く出ているのだ。
対して15年版では軍服が「美しすぎ」で、どうにも生活感がない。理由はどうあれ、終戦と聞いてこの重要人物たちは文字通り寝食も惜しんで仕事に打ち込んでいる。その「生活感」が感じられず、軍服と人物が別々に見えてしまう。

日本のいちばん長い日

ヤケクソ感が足りない、と私が勝手にファンになっている(笑)映画評論サイト様はおっしゃっていたが、まさにその通りとおもって調べてみたところ、畑中少佐のキャラクターは67年版より純朴な青年といった風に修正されている。
これは実在の畑中少佐も純朴で物静かな人物だったということで、67年版の公開当時は「実像とかけ離れている」と関係者が抗議したことがあった。
だがその純朴で物静かな青年が、のちに森赳近衛師団長をピストルで銃殺してしまうのである。逆に言えばそれほど追い詰められていたと言ってもいいのではないだろうか。その点の必死さというか、もう狂気に近い部分もあるのだが、そういった描写が全体的に少ないのも不満の残るところである。日本が消滅する、という恐怖は今の我々には想像がつかない。
大西滝治郎海軍軍令部次長の「あと2000万、特攻を出せば必ず勝てます」というセリフも、今回はなんともあっさりしてしまった。2000万人である。すごい数だ。ちなみに5年続いた独ソ戦でソ連が失った軍人・民間人がおおよそ2000万人と言われている、、、

こんな不満ばかり書き起こしても面白くないのだが(笑)戦争映画は本当に難しい。史実のリアリティと映画的な面白さは、両立しない。前者に傾けばただのドキュメンタリーだし、後者に傾けばお遊戯会だ。その塩梅がとても難しいということを、もう少し意識したらもっといい映画になったのにと惜しい気持ちがある。



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