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2023年09月19日

ミハエル・ヤンケ社製 砲兵科クラシュキャップ

ミハエル・ヤンケ社製 砲兵科クラシュキャップ

ミハエル・ヤンケ(以下MJ)社製のクラシュキャップ(野戦帽)を入手したので記事にしてみました。

帽子本体はMJ社、アドラーとコカルデはサムズミリタリヤ製を使用し、縫い付けは自分で行いました。

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クラシュキャップは、士官用の野戦帽(Feldmütze)として1934年に導入された帽子の、いわばコレクターによる愛称です。
同タイミングで兵隊用にもM34略帽(Feldmütze、別名でSchiffchenとも)が導入されており、形状は全く違いますが本義ではおなじ「制帽に対する略式の帽子」であったことが分かります。

1938年に将校用に銀線が入ったM38略帽(舟形略帽)が導入されるまでの4年間、この簡易型の制帽は士官に支給されていました。
1938年以降は兵隊と同じ形をしたM38略帽を使用していましたが、一部の士官たちはこのつぶして持ち運びやすいクラッシュキャップを引き続き愛用していました。

将校は被服を自腹もしくは軍との折半で用意する必要があったため、金銭に余裕のある士官たちは各々の趣向をこらしたフォルムのクラシュキャップをテーラーに注文し、前線に持ち込んで使用しました。1938年に官給が廃止された後も、クラッシュキャップの文化は1945年の終戦まで生き続けています。



ミハエル・ヤンケ社製 砲兵科クラシュキャップ

1934年に導入された陸軍の士官用クラシュキャップは、顎紐が初めから付かず、バイザーの革も硬質なエナメルやバルカンファイザーではなく柔らかいもので、トップを支えるワイヤーも抜かれていました。
徽章類は制帽に見られる金属やモールを折り合わせてつくられた凝ったタイプではなく、BEVOの簡便なものを縫い付けていました、。


1938年に支給が廃止されて以降も、このクラシュキャップを意識して「制帽をクラシュキャップ風に改造する」といった流行が生まれました。
この流行は陸軍、海軍、空軍、さらには国防軍に属さないSS、警察などありとあらゆる「制帽を持つ組織」に広まっていきます。

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天面の形を変えて中央部を絞る、ワイヤーを抜き両サイドを垂れさせる、顎紐を取る、徽章を金属やモール刺繍にする、といった改造を施されたオリジナリティのあふれる制帽改造クラシュキャップたちは大戦時の写真に必ずと言っていいほど登場し、特に前線指揮官や下級指揮官の被っている写真はかなり多く見られます。


ミハエル・ヤンケ社製 砲兵科クラシュキャップ


一方、武装SSには下士官用野戦帽と呼ばれるクラシュキャップとよく似た帽子がありました。
この帽子は陸軍のM34野戦帽とコンセプトは似ていますが、徽章は金属製であり、また鍔が布で覆われていることが特徴でした。

この下士官用野戦帽もSS隊員のウケが良かったのか、戦前には支給が廃止されていたにも関わらず戦中の写真でも散見されます。



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