読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 2人
< 2024年04月 >
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
QRコード
QRCODE

2017年06月07日

ドイツ軍野戦装備と概略

この項ではドイツ軍の野戦装備についての概略を説明します。

ドイツ軍野戦装備と概略
ドイツ陸軍の野戦装備を箇条書きに起こすと

・野戦用ベルト
・弾薬盒
・雑嚢
・水筒
・飯盒
・ガスマスク缶
・ガスシートケース
・銃剣

以上がほぼ確実に戦闘中でも持ち歩いている装備品になります。
加えて

・スコップ
・ツェルトバーン
・装備サスペンダー
・書類ケース
・拳銃ホルスター
・機関銃工具ケース
・予備銃身ケース
・衛生ポーチ
・双眼鏡ケース
・Aフレーム

などを任務や行動状況、階級、役割によって携行しています。

☆大戦初期頃、分隊指揮官

ドイツ軍野戦装備と概略

分隊指揮官と思われるSS隊員の画像。陸軍とあまり変わらないのでこれで解説します(笑)
大戦初期はMP38やMP40の導入は進んでおらず、特にフランス戦役の頃までは分隊長も小銃手と同じKar98kで武装していました。

野戦用ベルトは陸軍・武装親衛隊ともに黒のものをメインに使用し、バックルは各組織で異なるデザインのものを使用しました。
ベルトを締める位置はへそのやや上あたりで、野戦服から外に出ているベルトフック(ザイテンハーケン)に乗せるようにして締めます。ベルトフックは野戦服の内側で内蔵サスペンダー(トラーゲグルテ)と連結しており、革製の装備サスペンダーを使わなくても十分に装備品の重さを支えることができました。
ベルトは表が革のけば立った面(床面)、裏が革のつるつるした面(銀面)となっており、現代の世間一般でいう革製品とは逆の仕上げ方になっています。外出用や礼装用、将校用のベルトはこの逆の仕様になっています。
海外メーカーの一部の複製品には、将校用のベルトと生産を同じにするため、仕上げ方も表が銀面・裏が床面になっているものがありますが、野戦用のベルトとしてこれは正しくありません。

弾薬盒は正面に2つペアで装着します。この弾薬盒はポケットが3つ連なって1つを構成しており、1つのポケットに5発の銃弾をまとめたクリップが×2つ、それが3つで30発、ペアで装備するので合計60発を携行することができました。
規定ではこの弾薬盒はベルトバックルから3㎝離して装着することになっています。ワタクシは指2本分、と指導していただいたこともあります。

胸の前に着けているのがガスシートのケースで、毒ガスが散布された場合は中に入っているシートを広げて体を守ります。開戦初期の規定ではこの写真の通り、胸の前に装着することになっていましたが、この位置ではばたついてかなり邪魔なので多くの兵士がガスマスク缶に革製のストラップでケースごと縛り付けていました。この方法は何度も陸軍側から禁止令が出ていますが、中身のシートが傷んでしまう可能性があることがその理由ともいわれています。

書類ケースは1935年制式の装備品で、写真では正面向かって右に装備しています。
よく「マップケース」とも呼ばれますが、ドイツ語での名称の「Meldekartentache」は書類ケースと訳すのがより正しいそうで、またこの書類ケースには防水のために透明なビニールが貼られた地図用のケースも入っており、これを「マップケース」とした方が正しいようです。
書類ケースは分隊指揮官や将校、伝令、砲兵観測員など書類や地図を常に確認する役割のある兵士が所持していました。初期はバックル型の留め金が付いていましたが、後期は単純なベルト型になったほか、蓋も短めに変更されています。
中身は軍用の地図はもとより、筆記具や測距器具、手紙などが入っていました。面白い例としては、現地の地図が無い場合、現地で売っている地図を購入して所持していた場合もあります。これはドイツ軍に限らず、連合軍でも見られました。
正規品以外に、個人で持ち込んでいるケースもあります。

余談ながら双眼鏡を首から下げているので、兵用ベルトにはどこかに双眼鏡のケースも装着されているはずです。


☆右側の兵士に見る背面の状況


ドイツ軍野戦装備と概略

飯盒は1931年に新型が配給され、大戦中は必須装備の一つでした。
当時のドイツ軍の飯盒の役割はズバリ「容器」で、配食を受け取るときや朝の洗顔の時などに使用されました。日本軍の飯盒とよく似ているのは日本がドイツ式の飯盒を参考にしたからと言われています。その当時はドイツでも飯盒を使った料理は行われていましたが、日本が調理器具として飯盒を活用していったのに対し、本家のドイツの飯盒は徐々に食器としての利用になっていったのが面白いポイントですね。
飯盒は飯盒用の長めのストラップで雑嚢に固定するか、Aフレームと呼ばれるサスペンダー用のキャリアーに固定するのが一般的となっていますが、後者に関しては配給数が少なく、実際はあまり一般的ではないようです。
雑嚢に固定する場合は左がほとんどです。稀に飯盒が無く、水筒だけ雑嚢の左側に固定している写真がありますが、トラックに乗るときなどはこうするそうです。

雑嚢は1931年型で、兵士の身の回りの生活用品や銃の手入れ道具などが入っていました。
ほとんどの場合、雑嚢は野戦用のベルトに、2か所のループと1か所の金具で固定しました。向かって右側のお尻あたりに位置しています。専用の長いストラップで肩からたすき掛けにすることもできますが、あまりこの方法で装備している例はなく、このストラップはヘルメットに十字に巻いて草や枝を挟む偽装用ネットの代用に使われていました。
雑嚢はループに補強の付いた初期型、補強を無くした中期型、工程の簡素化を行った末期型に大別されます。また余った布でフタを開けたところにポケットを増設し、小銃のクリーニングキットを仕舞っている改造例もあります。これは末期型では一部で標準となりました。

2本のストラップで固定されているのは31年型ツェルトバーンで、これは迷彩がプリントされた個人用の携帯ポンチョでした。今では緊急時用の携帯シェルターをツェルトと呼ぶそうです。
ツェルトバーンは三角形に裁断されており、中央のスリットに首を通します。この時左右に広がった部分は前のボタンで留めることもできます。ドイツ軍の教本であるライベルトにはこのツェルトバーンを使った雨除けや担架の作り方が掲載されていました。また4枚組み合わせてペグとポールとロープを張ると2~3人用のテントとして使うことができます。これらの設営道具は専用のケースに入れ、ツェルトバーンの中に巻き込んで携行しました。


なおこの写真の兵士はコットン製の装備サスペンダーを着けています。大戦突入後に主にアフリカ戦線やバルカン方面など、暑い気候の戦域に向けて革製の装備の一部はコットンで作られました。

☆背面の装着状況その2

ドイツ軍野戦装備と概略

ガスマスク缶は名前の通りガスマスクを収納しておくための金属製のケースです。ストラップをたすき掛けにして背中に回し、缶の底に付いているフックをベルトに引っ掛けて体の左後ろに固定します。
1938年までは旧型のガスマスクを使用しており、それに合わせていたガスマスク缶は戦中型より若干短い設計でした。
先述の通り、ガスシートケースを縛着している例もあります。陸軍では何回かこのケースの固定位置を変更しましたが、缶に巻き付けて良いという指示だけは最後まで出ませんでした。
またガスマスクが必要な毒ガス戦は、各国とも国際世論の批判や想定外の被害を恐れてヨーロッパ戦線ではまったく生起せず、ガスマスク缶が小物入れがわりに使われていたケースもあるそうです。

水筒は1931年に採用。0.8ℓと1.0ℓが一般的で、カップ部分はアルミや鉄、小型のものではベークライトで作られていました。本体はフェルトのカバーで覆われており、革かコットンのベルトで十字に巻かれ、その先端の金属製のクリップで雑嚢の右側に固定します。ベルトに直接吊るしていた場合もあります。
本体が木製のカバーで覆われていたものはアフリカ向けとよく言われていますが、アフリカ方面軍ではフェルトカバーの水筒も使われており、配備実態はあやふやなところが多いようです。水筒に限った話ではありませんが、ドイツ軍の装備品は制式採用から配備までに時間がかかる場合がよくあり、それも暑い地方にいる兵士の為だけにわざわざ大多数と仕様を変えて生産した水筒が、1941年から43年までと比較的短命に終わったアフリカ戦線で全面的に行き渡ったとは思えません。なお熱帯向け装備はなにもアフリカ方面軍だけのものではなく、バルカンやその他比較的暑い戦域にも配備されたそうです。

スコップは左のお尻あたりにつりさげるのが一般的でした。1938年に折り畳み式のものが採用され、これを「クラップシュパーテン」、折り畳まないストレート型を「クライネスシャンツォイク」と言うようです。折り畳みスコップは90度で固定すれば鍬に、完全に伸ばせばスコップになります。
スコップは専用のケースに収納しており、このケースに付いているベルトを使って銃剣を銃剣吊りごとスコップケースに固定することもできました。また白兵戦では手元にあるなかでも最強の打撃武器になるため、白兵戦に備えていると思われる写真ではベルトに挟んで携帯している様子が写っています。
場合によっては輜重科などに預けている場合もあるので冒頭の箇条書きの必須装備からは外していますが、使用する場面はほかの装備とほとんど変わらないので、基本装備の一つとしても良いでしょう。

銃剣は第一次大戦時のものを短縮して1934年以降生産されました。
初期の頃は木製の柄でしたが、1937年頃(資料によってはもう少し後)にベークライト製に変更され、さらに大戦末期になるとベークライトが不足したため再び木製の柄になりました。戦地ではテントを設営する際にハンマーの代わりとして使うこともあったそうです。
底に付いている大きな丸いボタンを押すと銃から外れます。
銃剣の鞘は内部に板バネが入っており、これが底の方まで仕込まれていて、銃剣本体を押さえていました。
鞘を吊るための銃剣吊(ザイテンゲヴェーアタッシェ)は初期は柄を押さえるためのベルトが無く、のちにこのベルトを追加したものが制式になりました。一般的にこのタイプは「騎兵タイプ」と呼ばれていますが、騎兵専用ということで生産されたわけではないらしく、どこからこの名前が定着したのかは謎です。動きの大きい騎兵のために作ったバリエーションが、便利なので全体にも採用された、という解釈でしょうか?
銃剣吊は大戦後半になると革の節約のため、短縮型に変更されました。



今回は基本的な小銃手の装備を想定してのお話でしたが、写真は必ずしもそうではないので、いずれ機関銃手や小隊長の装備にも言及できたらと思います。



同じカテゴリー(ドイツ軍)の記事画像
Streifendienstと鉄道を守る人々
国家保安本部とアインザッツグルッペンをめぐるあれこれ
ハウトゥードイツ国鉄
ドイツ国鉄~着装編~
ドイツ国鉄と鉄道警察~着装編~
ドイツ軍リプロダクトのススメ~ヘッドギア編~
同じカテゴリー(ドイツ軍)の記事
 Streifendienstと鉄道を守る人々 (2021-11-17 00:14)
 国家保安本部とアインザッツグルッペンをめぐるあれこれ (2021-01-04 17:52)
 ハウトゥードイツ国鉄 (2020-05-15 20:34)
 ドイツ国鉄~着装編~ (2020-03-11 00:32)
 ドイツ国鉄と鉄道警察~着装編~ (2020-02-12 00:50)
 ドイツ軍リプロダクトのススメ~ヘッドギア編~ (2018-10-30 22:41)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。