2021年03月27日
WW2ドイツ軍装を始めたい!基本のキの字から~その4、ヘルメット編~
さて「基本のキ」シリーズもヘルメット編に突入です。
今回本記事の作成にあたりまして、「さかなクンさん(仮名)」より貴重な実物ヘルメットの画像を頂きました。
ご厚意に感謝申し上げます。
今回本記事の作成にあたりまして、「さかなクンさん(仮名)」より貴重な実物ヘルメットの画像を頂きました。
ご厚意に感謝申し上げます。
さて、ドイツ語ではヘルメットは「シュタールヘルム」と呼びます。
襟の後ろまで防護するこの特徴的なヘルメットが最初に量産されたのは、1916年のことでした。
時は第一次世界大戦。それまでのやや儀礼的な雰囲気の強かったピッケルハウベに代わるヘルメットとして、ドイツ帝国軍で正式に採用されました。内装を小改造したM18シュタールヘルムも開発され、大戦終結後にワイマール共和国軍が創設された後も、このヘルメットは長きにわたって現役でした。
M16/M18シュタールヘルム

1916年から順次導入されたヘルメット。他国との違いがはっきりと表れた、アイコニックなヘルメットです。
襟の後ろまで防護できるような形状で、東部側面には通気孔が設けられていました。
第一次世界大戦がはじまった1914年ごろの帝政ドイツ軍は、このようなピッケルハウベと呼ばれるヘルメットを装備していました。

しかし基本的に革製だったピッケルハウベでは塹壕戦で満足な防御力を発揮できず、負傷者が相次いだため、ピッケル部分が外せるものが登場したり、華美な装飾が目立たないように、写真の兵士たちのようなカバーを付けるようになっていきました。
1916年からは鉄製のシュタールヘルムの配給がはじまり、ピッケルハウベは急速に更新されていきました。
第一次世界大戦を描いた名作「西部戦線異状なし」では、主人公たちが入隊することはピッケルハウベを被っていますが、後半に進むにつれてシュタールヘルムに変わっていく様子が描かれています。
さて、実は第二次世界大戦の開戦前、開戦後にもこのM18シュタールヘルムは新生ドイツ軍内で引き続き使われていました。
1935年の再軍備宣言以来、急速に拡大するドイツ国防軍では、新型のM35シュタールヘルムの採用も進めながら、かつてのワイマール共和国軍時代に使用していたM18シュタールヘルムも使用し続けました。

1939年の開戦直前になると、陸軍ではM35型の更新が進み、旧型のものは数を減らしていました。
しかし同じ1930年代には余剰となった旧型ヘルメットを活用する組織が多くありました。
すなわちSSと、警察です。

1938年、ヴィルヘルム通りを行進する「アドルフ・ヒトラー連隊」(のちの第1SS師団、LSSAH)。32年型の勤務服を着用。直接ヒトラーの護衛を担う一部の部隊については、終戦時までこの黒服を制服としていた。

行動中の秩序警察。旧型ヘルメットを着用。
この状況は終戦時まで一部部隊では変わることなく、ベルリンでの防衛戦などでも旧型ヘルメットをかぶって戦闘に加わった兵士がいると推定されています。
M35シュタールヘルム

1935年、ヴェルサイユ条約の打破を目的とするヒトラーは、かねてより再軍備を進めていたワイマール共和国軍(ライヒスヴェーア)を、ドイツ国防軍(ヴェアマハト)へと改組し、正式に再軍備を宣言しました。
同じ年に採用となったM35シュタールヘルムは、それまでのM16/M18シュタールヘルムよりも頭頂部が低くなり、大きく突き出していた通気孔も低く抑えられました。この通気孔は本体とは別パーツとなっています。

また同時期に、ヘルメットの左側面に「国家鷲章」、右側面に「国章」のデカールを着けることが決められました。
「国家鷲章」はドイツの象徴である鷲が、ハーケンクロイツを掴んでいるデザインで、42年~43年ごろまで着用されました。
「国章」は黒、白、赤のドイツを表す伝統的なカラーを組み合わせたデカールで、こちらも43~43年ごろに順次廃止となります。


M40シュタールヘルム
1940年ごろより、M35シュタールヘルムの改良タイプであるM40シュタールヘルムが登場しました。
基本的な寸法に差異はありませんが、別パーツで取り付けられていた頭の通気孔が本体と一体成型になりました。
また素材がモリブデン鋼からマンガン・シリコン鋼に変更されています。
陸軍ではM35の配備時期は、アップルグリーンの明るめの緑色で塗装されていましたが、M40の頃になると濃く暗い色味のフィールドグレーに変更されています。

貴重な実物の写真を提供いただいたさかなクンさんに改めて感謝申し上げます。

この写真はSSタイプのM40です。御覧の通りヘルメットのデカールが異なります。
SSでは右側面にSSルーン、左側には赤地にハーケンクロイツのデカールを貼っていました。
ドイツ軍・SS・警察・その他パラミリタリー組織では共通してシュタールヘルムが運用されましたが、それぞれの組織ごとに、ヘルメットに貼るデカールは異なったものが使用されていました。
M42シュタールヘルム
42年ごろから登場したこのヘルメットは、それまで補強のために内側に折りたたまれていた庇のふちが、伸ばしっぱなしで成形されていることが特徴です。
このふちの部分はそれまでのヘルメットより少しだけ伸びています。


これらのヘルメットはドイツの友好国にも大量に供与がなされました。特に戦前の中国・国民党軍、フィンランド軍などではこのタイプのヘルメットを使用している写真が多く残っています。
もっとも第一次世界大戦後にドイツ軍式のヘルメットを導入していた国も多く、いろいろな派生タイプが存在しています。
戦後には連合各国で戦争映画への需要が高かったためか、大量のヘルメットが映画会社などに買い取られていきました。
当のドイツでは戦後の物資不足のため、鍋や漏斗に改造されたヘルメットが、ドイツ市民の復興のために使われていきました。
☆超番外 東ドイツ軍シュタールヘルム

戦後にアメリカ式に変更されたドイツ連邦軍と異なり、東ドイツ軍ではナチス時代のデザインの制服や階級章が大々的に継承されました。
そのなかでも戦後に採用されたこのシュタールヘルムですが、大戦後期から末期ごろにM42シュタールヘルムの後継として、ナチスによって開発されていたものでした。
試作段階で実戦投入はほとんどされなかったというのが定説でしたが、最近その実戦投入時?と思われる映像が見つかったとの報に接しましたので、研究のためにリンクを貼っておきます。

☆映像は5:40ごろから
https://archive.org/details/DieDeutscheWochenschauNr.733
襟の後ろまで防護するこの特徴的なヘルメットが最初に量産されたのは、1916年のことでした。
時は第一次世界大戦。それまでのやや儀礼的な雰囲気の強かったピッケルハウベに代わるヘルメットとして、ドイツ帝国軍で正式に採用されました。内装を小改造したM18シュタールヘルムも開発され、大戦終結後にワイマール共和国軍が創設された後も、このヘルメットは長きにわたって現役でした。
M16/M18シュタールヘルム

1916年から順次導入されたヘルメット。他国との違いがはっきりと表れた、アイコニックなヘルメットです。
襟の後ろまで防護できるような形状で、東部側面には通気孔が設けられていました。
第一次世界大戦がはじまった1914年ごろの帝政ドイツ軍は、このようなピッケルハウベと呼ばれるヘルメットを装備していました。

しかし基本的に革製だったピッケルハウベでは塹壕戦で満足な防御力を発揮できず、負傷者が相次いだため、ピッケル部分が外せるものが登場したり、華美な装飾が目立たないように、写真の兵士たちのようなカバーを付けるようになっていきました。
1916年からは鉄製のシュタールヘルムの配給がはじまり、ピッケルハウベは急速に更新されていきました。
第一次世界大戦を描いた名作「西部戦線異状なし」では、主人公たちが入隊することはピッケルハウベを被っていますが、後半に進むにつれてシュタールヘルムに変わっていく様子が描かれています。
さて、実は第二次世界大戦の開戦前、開戦後にもこのM18シュタールヘルムは新生ドイツ軍内で引き続き使われていました。
1935年の再軍備宣言以来、急速に拡大するドイツ国防軍では、新型のM35シュタールヘルムの採用も進めながら、かつてのワイマール共和国軍時代に使用していたM18シュタールヘルムも使用し続けました。

1939年の開戦直前になると、陸軍ではM35型の更新が進み、旧型のものは数を減らしていました。
しかし同じ1930年代には余剰となった旧型ヘルメットを活用する組織が多くありました。
すなわちSSと、警察です。

1938年、ヴィルヘルム通りを行進する「アドルフ・ヒトラー連隊」(のちの第1SS師団、LSSAH)。32年型の勤務服を着用。直接ヒトラーの護衛を担う一部の部隊については、終戦時までこの黒服を制服としていた。

行動中の秩序警察。旧型ヘルメットを着用。
この状況は終戦時まで一部部隊では変わることなく、ベルリンでの防衛戦などでも旧型ヘルメットをかぶって戦闘に加わった兵士がいると推定されています。
M35シュタールヘルム

1935年、ヴェルサイユ条約の打破を目的とするヒトラーは、かねてより再軍備を進めていたワイマール共和国軍(ライヒスヴェーア)を、ドイツ国防軍(ヴェアマハト)へと改組し、正式に再軍備を宣言しました。
同じ年に採用となったM35シュタールヘルムは、それまでのM16/M18シュタールヘルムよりも頭頂部が低くなり、大きく突き出していた通気孔も低く抑えられました。この通気孔は本体とは別パーツとなっています。

また同時期に、ヘルメットの左側面に「国家鷲章」、右側面に「国章」のデカールを着けることが決められました。
「国家鷲章」はドイツの象徴である鷲が、ハーケンクロイツを掴んでいるデザインで、42年~43年ごろまで着用されました。
「国章」は黒、白、赤のドイツを表す伝統的なカラーを組み合わせたデカールで、こちらも43~43年ごろに順次廃止となります。


M40シュタールヘルム
1940年ごろより、M35シュタールヘルムの改良タイプであるM40シュタールヘルムが登場しました。
基本的な寸法に差異はありませんが、別パーツで取り付けられていた頭の通気孔が本体と一体成型になりました。
また素材がモリブデン鋼からマンガン・シリコン鋼に変更されています。
陸軍ではM35の配備時期は、アップルグリーンの明るめの緑色で塗装されていましたが、M40の頃になると濃く暗い色味のフィールドグレーに変更されています。
貴重な実物の写真を提供いただいたさかなクンさんに改めて感謝申し上げます。
この写真はSSタイプのM40です。御覧の通りヘルメットのデカールが異なります。
SSでは右側面にSSルーン、左側には赤地にハーケンクロイツのデカールを貼っていました。
ドイツ軍・SS・警察・その他パラミリタリー組織では共通してシュタールヘルムが運用されましたが、それぞれの組織ごとに、ヘルメットに貼るデカールは異なったものが使用されていました。
M42シュタールヘルム
42年ごろから登場したこのヘルメットは、それまで補強のために内側に折りたたまれていた庇のふちが、伸ばしっぱなしで成形されていることが特徴です。
このふちの部分はそれまでのヘルメットより少しだけ伸びています。
これらのヘルメットはドイツの友好国にも大量に供与がなされました。特に戦前の中国・国民党軍、フィンランド軍などではこのタイプのヘルメットを使用している写真が多く残っています。
もっとも第一次世界大戦後にドイツ軍式のヘルメットを導入していた国も多く、いろいろな派生タイプが存在しています。
戦後には連合各国で戦争映画への需要が高かったためか、大量のヘルメットが映画会社などに買い取られていきました。
当のドイツでは戦後の物資不足のため、鍋や漏斗に改造されたヘルメットが、ドイツ市民の復興のために使われていきました。
☆超番外 東ドイツ軍シュタールヘルム

戦後にアメリカ式に変更されたドイツ連邦軍と異なり、東ドイツ軍ではナチス時代のデザインの制服や階級章が大々的に継承されました。
そのなかでも戦後に採用されたこのシュタールヘルムですが、大戦後期から末期ごろにM42シュタールヘルムの後継として、ナチスによって開発されていたものでした。
試作段階で実戦投入はほとんどされなかったというのが定説でしたが、最近その実戦投入時?と思われる映像が見つかったとの報に接しましたので、研究のためにリンクを貼っておきます。
☆映像は5:40ごろから
https://archive.org/details/DieDeutscheWochenschauNr.733
Posted by NEU at 01:03│Comments(0)
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