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2015年11月05日
シンドラーのリスト
「シンドラーのリスト」
1993年、アメリカの映画である。

1993年、アメリカの映画である。

戦争映画といえば、「プライベート・ライアン」とともにならんで紹介されることも多い映画だ。
もっとも、「プライベート・ライアン」とは趣旨の異なる内容のため、どちらかというと「対をなす」という表現が正しいかもしれない。
メガホンを取ったのはスティーブン・スピルバーグ。
両方とも彼の作品だ。ほんと、すごいオジサンである(笑)
第二次世界大戦中、ドイツでユダヤ人1000人以上の命を救ったオスカー・シンドラーの実話をベースにした物語である。
勘違いされがち(というより自分が勘違いしていた)のは、彼は手当たり次第にユダヤ人を救い出したわけではないという点である。
彼が救い出せたのは、彼の工場で勤務している従業員という肩書(大義名分も含め)を持つ者だけである。
シンドラーの経営する会社はナチスと関わりが深く、また信頼も厚かったため、強制収容所にいたユダヤ人たちを救い出すこともできた。
ただそれはあくまで「労働力」という肩書を与えなければ難しく、また処刑されるはずのユダヤ人を親衛隊の目の前で引き抜くという行為は、多大な賄賂や無私の散財を彼に強いた。実際、シンドラーは持ちうる財産や資金が尽きるまで、ユダヤ人を救うために親衛隊にコネを増やしたり賄賂を渡したりと奔走し、、戦争末期にドイツに戻った際には1ペニヒすら持っていなかったそうである。
彼の工場には親衛隊の立ち入りは許されず、ユダヤ人たちはユダヤ教の教義に則った葬式もできたそうである。

わざとモノクロ(要所要所にカラーはある)で撮影されているのも斬新。
さて、本作の見どころというか、ハイライトでも特にすごいのが、
第1にゲットー解体の瞬間、
第2に収容所所長のアーモン・ゲート少尉とのやりとり、
である。
ユダヤ人が強制的に移住させられ、集められた居住区をゲットーと呼ぶ。
本作の舞台であるポーランドには5つの巨大なゲットーがあり、劇中に登場するのはクラクフ・ゲットーである。
このゲットーは1941年に成立、翌年に数度のユダヤ人移送(収容所送り)が行われたのち、1943年にアーモン・ゲート少尉率いる武装親衛隊によって解体された。
その際にユダヤ人の持ち物などはことごとく強奪、労働可能なユダヤ人が住むゲットーAの住人は全員がプワシュフ労働収容所(絶滅収容所ではない、ユダヤ人労働力を管理する収容所)に送られたが、それ以外の老人や子供、病人が住むゲットーBでは「労働不能」を理由に1000人ものユダヤ人がその場で射殺された。残ったゲットーBの住人もプワシュフ、アウシュヴィッツの収容所へと送られていく。
このシーンは美しいピアノの旋律に、MP40をフルオートでぶっ放す旋律が重なった二重奏があまりにも有名である。
このシーンに関しては、「戦争映画中央評議会」さんの記事に非常に興味深い解説が載っているので、ぜひご覧になることをお勧めする。
大勢の人間がみんなして武器を持ってワラワラと無抵抗の市民に群がって、これといった理由も無しに殺しまくっていくのが・・・なんというか、人間は分かり合えないんだねえ・・・

こええ・・・
第2に、この映画でいうところのシンドラーの対になる人物、アーモン・ゲートとの接触である。先述のプワシュフ労働収容所の所長だ。
この男、実在したのだが、とんでもないマジ○チ野郎である。

映画だと危険な雰囲気の漂うイケメンである。

↑実際のゲート。
まず、所長は収容所を一望できる小高い丘の自宅兼執務室で朝を迎えると、これまた収容所を一望できるバルコニーに出て、写真のようにライフルを取り出して所内のユダヤ人を撃ち殺すのである。
毎朝一殺。彼の日課である。文字通りモーニングショットだが彼の場合はコーヒーではない。
彼は仕事のために収容所へ降りていくことがあるが、その途中でもユダヤ人を撃ち殺した。
理由は彼にしかわからない。というか、ただの気まぐれである可能性が大だ。あまりに無作為に殺すため、囚人たちは彼の服装や行動パターンで「気まぐれ」が発生することを予期しようとしていたらしい。
そのほか、囚人を生きたまま愛犬二頭(狩猟犬)の餌にしたり、鞭で打ち後頭部を煉瓦で殴りつけた囚人をさらに100回鞭で打ってようやく解放したかと思いきや瞬時に撃ち殺したなどという話もある。
また自らをプワシュフの絶対権力者であると自負し、「俺が命令したらそれは神聖だと思え」などと平気で口にしたそうである。まさにサイコパスである。
収容所就任の際の演説では
「俺はお前たちの神だ。ルブリンで俺は6万人のユダヤ人を片づけた。次はお前たちの番だ」
とのたまったという。こんなこと言うやつマジでいるんですか。
元から世間的に言ってちょっと頭がおかしかった人に、ナチズムによる選民主義と時の運による収容所所長という権力を与えてしまったがために生まれたとしか思えないこのモンスターは、戦後に裁判に引っ張り出された際も、証人のユダヤ人の名前が読み上げられると
「何? そんなにたくさんのユダヤ人がまだいるのか?豚どもは一匹も残ってはいないはずだったのにな」
と叫んだり、一方では軍人として命令に従っただだけだの、「自分は社会に役立つ人間だ」などと見苦しく減刑を嘆願をしたという正真正銘の下種である。
彼は1946年に、自らが解体したクラクフ・ゲットーの跡地で絞首刑に処された。
シンドラーが死ぬほど苦労してようやく、ようやく1200人のユダヤ人を救ったのに対し、ゲートは特に大したこともせずウン千人ものユダヤ人を殺害した。彼がしたことといえば、太ったことくらいだろうか。
私はシンドラーの高潔さよりも、ゲートのこの異質さに本作の傑作たるゆえんを見出した気がする。
ゲートはナチズムによってアーリア人の優秀性を信じており、下等人種であるユダヤ人は犬コロ以下の存在として気分に任せてぶっ殺すが、それ以上に、それを命令とし、必要上の手続きを踏んで、正規の作戦として実行するという実にお役所じみた作業でユダヤ人を殺害していたナチス・ドイツの異様さがよく描かれている映画だと思った。
日本の教科書だと「ヒトラー出ました~ユダヤ人殺しました~ヒトラー死にました~終わり~」なので、まるで道行くたびにドイツ人がオラオラしながらぶっ殺していったようにも思われがちだが、実際のユダヤ人の殺害はもっと計画的かつ効率的に練られた国家プロジェクトであった。
アーリア人の優等性、ユダヤ人の劣等性を証明するために科学者たちがもっともらしい公式見解を出したり、法律を作ってユダヤ人を差別したり、銃殺では効率が悪いしドイツ人も精神的にキツいからとガス室を作ったりと、生真面目なドイツ人らしい「殺人政策」が作り上げられていったのである。
国家が国家の正常な機能を用いて異常な行動を取る、という典型例がこのナチス・ドイツだったのではないだろうか。
(まあ、ナチス・ドイツ自体が成立した時から正常ではなかったが・・・)
驚くことに、1944年に横領と捕虜虐待で親衛隊を追われたゲートは、翌45年にシンドラーの工場を訪れている。
シンドラーは怯える従業員たちに「何も心配することはない。彼はもはや単なる民間人にすぎない。」と言ったそうだが、
果たしてゲートは何を語ったのであろうか。
そしてシンドラーは、なんと返したのであろうか。

彼がモーニングショットを行ったバルコニーは現存している。
もっとも、「プライベート・ライアン」とは趣旨の異なる内容のため、どちらかというと「対をなす」という表現が正しいかもしれない。
メガホンを取ったのはスティーブン・スピルバーグ。
両方とも彼の作品だ。ほんと、すごいオジサンである(笑)
第二次世界大戦中、ドイツでユダヤ人1000人以上の命を救ったオスカー・シンドラーの実話をベースにした物語である。
勘違いされがち(というより自分が勘違いしていた)のは、彼は手当たり次第にユダヤ人を救い出したわけではないという点である。
彼が救い出せたのは、彼の工場で勤務している従業員という肩書(大義名分も含め)を持つ者だけである。
シンドラーの経営する会社はナチスと関わりが深く、また信頼も厚かったため、強制収容所にいたユダヤ人たちを救い出すこともできた。
ただそれはあくまで「労働力」という肩書を与えなければ難しく、また処刑されるはずのユダヤ人を親衛隊の目の前で引き抜くという行為は、多大な賄賂や無私の散財を彼に強いた。実際、シンドラーは持ちうる財産や資金が尽きるまで、ユダヤ人を救うために親衛隊にコネを増やしたり賄賂を渡したりと奔走し、、戦争末期にドイツに戻った際には1ペニヒすら持っていなかったそうである。
彼の工場には親衛隊の立ち入りは許されず、ユダヤ人たちはユダヤ教の教義に則った葬式もできたそうである。

わざとモノクロ(要所要所にカラーはある)で撮影されているのも斬新。
さて、本作の見どころというか、ハイライトでも特にすごいのが、
第1にゲットー解体の瞬間、
第2に収容所所長のアーモン・ゲート少尉とのやりとり、
である。
ユダヤ人が強制的に移住させられ、集められた居住区をゲットーと呼ぶ。
本作の舞台であるポーランドには5つの巨大なゲットーがあり、劇中に登場するのはクラクフ・ゲットーである。
このゲットーは1941年に成立、翌年に数度のユダヤ人移送(収容所送り)が行われたのち、1943年にアーモン・ゲート少尉率いる武装親衛隊によって解体された。
その際にユダヤ人の持ち物などはことごとく強奪、労働可能なユダヤ人が住むゲットーAの住人は全員がプワシュフ労働収容所(絶滅収容所ではない、ユダヤ人労働力を管理する収容所)に送られたが、それ以外の老人や子供、病人が住むゲットーBでは「労働不能」を理由に1000人ものユダヤ人がその場で射殺された。残ったゲットーBの住人もプワシュフ、アウシュヴィッツの収容所へと送られていく。
このシーンは美しいピアノの旋律に、MP40をフルオートでぶっ放す旋律が重なった二重奏があまりにも有名である。
このシーンに関しては、「戦争映画中央評議会」さんの記事に非常に興味深い解説が載っているので、ぜひご覧になることをお勧めする。
大勢の人間がみんなして武器を持ってワラワラと無抵抗の市民に群がって、これといった理由も無しに殺しまくっていくのが・・・なんというか、人間は分かり合えないんだねえ・・・

こええ・・・
第2に、この映画でいうところのシンドラーの対になる人物、アーモン・ゲートとの接触である。先述のプワシュフ労働収容所の所長だ。
この男、実在したのだが、とんでもないマジ○チ野郎である。

映画だと危険な雰囲気の漂うイケメンである。

↑実際のゲート。
まず、所長は収容所を一望できる小高い丘の自宅兼執務室で朝を迎えると、これまた収容所を一望できるバルコニーに出て、写真のようにライフルを取り出して所内のユダヤ人を撃ち殺すのである。
毎朝一殺。彼の日課である。文字通りモーニングショットだが彼の場合はコーヒーではない。
彼は仕事のために収容所へ降りていくことがあるが、その途中でもユダヤ人を撃ち殺した。
理由は彼にしかわからない。というか、ただの気まぐれである可能性が大だ。あまりに無作為に殺すため、囚人たちは彼の服装や行動パターンで「気まぐれ」が発生することを予期しようとしていたらしい。
そのほか、囚人を生きたまま愛犬二頭(狩猟犬)の餌にしたり、鞭で打ち後頭部を煉瓦で殴りつけた囚人をさらに100回鞭で打ってようやく解放したかと思いきや瞬時に撃ち殺したなどという話もある。
また自らをプワシュフの絶対権力者であると自負し、「俺が命令したらそれは神聖だと思え」などと平気で口にしたそうである。まさにサイコパスである。
収容所就任の際の演説では
「俺はお前たちの神だ。ルブリンで俺は6万人のユダヤ人を片づけた。次はお前たちの番だ」
とのたまったという。こんなこと言うやつマジでいるんですか。
元から世間的に言ってちょっと頭がおかしかった人に、ナチズムによる選民主義と時の運による収容所所長という権力を与えてしまったがために生まれたとしか思えないこのモンスターは、戦後に裁判に引っ張り出された際も、証人のユダヤ人の名前が読み上げられると
「何? そんなにたくさんのユダヤ人がまだいるのか?豚どもは一匹も残ってはいないはずだったのにな」
と叫んだり、一方では軍人として命令に従っただだけだの、「自分は社会に役立つ人間だ」などと見苦しく減刑を嘆願をしたという正真正銘の下種である。
彼は1946年に、自らが解体したクラクフ・ゲットーの跡地で絞首刑に処された。
シンドラーが死ぬほど苦労してようやく、ようやく1200人のユダヤ人を救ったのに対し、ゲートは特に大したこともせずウン千人ものユダヤ人を殺害した。彼がしたことといえば、太ったことくらいだろうか。
私はシンドラーの高潔さよりも、ゲートのこの異質さに本作の傑作たるゆえんを見出した気がする。
ゲートはナチズムによってアーリア人の優秀性を信じており、下等人種であるユダヤ人は犬コロ以下の存在として気分に任せてぶっ殺すが、それ以上に、それを命令とし、必要上の手続きを踏んで、正規の作戦として実行するという実にお役所じみた作業でユダヤ人を殺害していたナチス・ドイツの異様さがよく描かれている映画だと思った。
日本の教科書だと「ヒトラー出ました~ユダヤ人殺しました~ヒトラー死にました~終わり~」なので、まるで道行くたびにドイツ人がオラオラしながらぶっ殺していったようにも思われがちだが、実際のユダヤ人の殺害はもっと計画的かつ効率的に練られた国家プロジェクトであった。
アーリア人の優等性、ユダヤ人の劣等性を証明するために科学者たちがもっともらしい公式見解を出したり、法律を作ってユダヤ人を差別したり、銃殺では効率が悪いしドイツ人も精神的にキツいからとガス室を作ったりと、生真面目なドイツ人らしい「殺人政策」が作り上げられていったのである。
国家が国家の正常な機能を用いて異常な行動を取る、という典型例がこのナチス・ドイツだったのではないだろうか。
(まあ、ナチス・ドイツ自体が成立した時から正常ではなかったが・・・)
驚くことに、1944年に横領と捕虜虐待で親衛隊を追われたゲートは、翌45年にシンドラーの工場を訪れている。
シンドラーは怯える従業員たちに「何も心配することはない。彼はもはや単なる民間人にすぎない。」と言ったそうだが、
果たしてゲートは何を語ったのであろうか。
そしてシンドラーは、なんと返したのであろうか。

彼がモーニングショットを行ったバルコニーは現存している。
Posted by NEU at 22:06│Comments(0)
│戦争映画・ドイツ
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