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2016年06月10日

軍旗はためく下に

1972年、東宝映画。「フカキン」こと深作欣二監督の作品である。
軍旗はためく下に
・・・見終わってすぐに書き始めているのだが、感想がなかなか書けない。

・・・。



「軍旗はためく下に」はVHS化はされていたもののDVDにはなっておらず、ここ10年で販売元やレンタルショップがDVDに移行してからはなかなか観ることができない、いわば幻の作品となっていたそうだ。私もこの映画を知った頃には、アマゾンでも海外版のDVDかVHSしか残っていなかった。視聴の難しさに「公権力が圧力をかけている」とまで言われていたほどだ。

ところが最近になって、コレクション出版会社のディアゴスティーニが「東宝・新東宝戦争映画DVDコレクション」の中でこの映画をラインナップしてくれたのである。


物語は富樫サキエ(左幸子)が、太平洋戦争で戦死した元軍人の遺族に支払われる補償をめぐり、厚生省の役人たちと対峙するところから始まる。

役人いわく、サキエの夫である富樫軍曹(丹波哲郎)は「戦死」ではなく「死亡」であり、遺族年金の対象にはならないのだという。富樫軍曹は終戦の年の8月に敵前逃亡罪で銃殺刑に処されたのだそうだ。

サキエは終戦から20年ちかく夫の死の真相を追求してきたが、厚生省の担当者は代わる代わるするも前任者と同じことを繰り返すだけだ。それまでの辛苦を思って涙を流したサキエに、ある役人が「この件に関しては慎重に扱っている」と前置きしたうえで、富樫軍曹の関係者と思われる元陸軍兵の名簿をサキエに差し出す。
何でも、富樫軍曹の件について情報を集めるために連絡を取ったところ、4人の元軍人から返事がなかったというのだ。

サキエが名簿を頼りにある都会から外れた部落へ行くと、寺島という元上等兵がゴミにまみれて生活していた。彼によると富樫軍曹は上官でも食って掛かる気迫の持ち主で、寺島が飢えで死にかけていたところを救ってくれたのだという。誰が何と言おうと、富樫は名誉の戦死を遂げたはずだとの寺島の言葉に、サキエの心はようやくわずかな救いを見いだせた。

しかし続く二人目の証言者である秋葉元伍長は、終戦間際に「イモ泥棒」として射殺された富樫を見たといい、さらに三人目の証言者である越智元憲兵軍曹は富樫軍曹が「死んだ兵隊の肉を食った」かどで処刑されたと証言する。

途方に暮れるサキエが4人目の証言者である大橋元少尉を訪ねると、大橋は富樫が上官を殺害した末に処刑されたという話を語る。
なんでも富樫の上官であった後藤小隊長は学徒動員出身で、威厳を保つためにわざと部下に厳しく当たり、恨みを買って富樫を含む5人の部下に殺されたのだそうだ。5人はその後軍法会議にかけられることもなく銃殺。その処刑を指示したのは元少佐の千田という老人だということを大橋は教えてくれた。
千田は後藤小隊長に捕虜の米軍パイロットを「斬首させた」過去があり、戦後に戦犯追及を逃れるため、後藤のことを知る富樫らを処刑したのではないか…大橋はそう勘ぐっていた。

件の千田は、孫娘を溺愛する好々爺になっていた。意を決して千田に詰め寄るサキエに、千田は「終戦の混乱の中、規律を守るためにやむをえなかった」と抗弁する。そして射殺されたのは5人ではなく3人で、1名は引き上げの前に病死し、もう1名は復員したと語る。その復員した兵士こそ、富樫軍曹らの行いを白状した男だと言うのだ。
その復員した兵士の名は、寺島であった。

寺島の口から語られる、サキエがたどり着いた真実は、あまりにも理不尽なものであった。


軍旗はためく下に



「八紘一宇」のスローガンのもと、大東亜共栄圏という華々しい宣伝文句のもと、輝かしい皇軍兵士の名を背負って戦った男たちのそのあまりにもみじめで無残な最期を描いた物語である。



かねてより人肉食を扱った映画として1959年に「野火」があり、当ブログでもだいぶ前に取り上げた。「軍旗はためく下に」より後発となるが、1987年に「ゆきゆきて神軍」も同じ人肉食問題を取り扱った。

これは目を背けてはいけない事実である。
補給を無視した作戦がいかに残酷で悲惨なものか、大東亜戦争はそのほとんどの期間を通じて人類に知らしめることとなった。

各シーンの描写を見てみると、細かい戦後の描写もさることながら、深作監督、そして脚本の新藤兼人がはっきりと「日本」を批判している意思が伝わってくる。

二人目の証言者である秋葉は漫才師に転身し、「終戦を知らずジャングルをさまよってようやく帰ってきた」日本兵のネタで会場の爆笑を誘っていた。
ちなみにだがこの映画が公開されたのは1972年の3月12日(付属資料のポスターに依る)。その1か月前に「恥ずかしながら帰ってまいりました」で知られる横井庄一氏、2年後の1974年には中野学校の卒業生である小野田寛男氏が、ジャングルからの帰国を果たしている。

三人目の証言者の越智は闇市の「バクダン」と呼ばれる危険な違法酒が原因で失明しており、四人目の証言者である大橋は戦後の「平和のための教育者」としての自分を見失い、学生闘争が本格化する世の中から置いて行かれた存在となっていた。

社会から投げ出されてしまった彼らとは裏腹に、千田少佐はというといかにも元士官らしい「大義」や「誇り」などといった言葉を定型句のように繰り返し、死した部下はすっかりと忘れ去っていた。戦後に何食わぬ顔で生還し、その後も財界や政界に残り続けた軍人は多く、千田がいわばそれらの「代表者」として画面に登場しているのだ(この手の話だとどうしても牟田口元中将が浮かんでくるが、私は彼についてちゃんとした勉強をしたわけではないので、安易な牟田口批判はやめておくとしよう)。

一人目にして、最後の証言者でもある寺島が終盤で語る「ここもあと1か月ももたない」というゴミ捨て場は朝鮮人の部落で、トタン屋根の向こうからは巨大なクレーンとアスファルトが迫ってくる。

すべてはいずれ、地面の下へと埋もれてしまう。そんな哀しみを伝えてくれる場面だ。

天皇陛下以下、政治家や戦死者遺族たちが列席する戦没者追悼式のカットがしきりに入る。サキエはこの会場に入ることができない。彼女は戦死者の遺族ではなく「ただの遺族」、もっと言えば「犯罪者の遺族」であり、自分の故郷でもその差別に苦しめられていた。

国のために戦ったのはみな同じというのに、靖国にいることも許されず、悔しさの涙に沈んでいる将兵は、たった1本の卒塔婆にまとめられている。日本はいつの間にか彼らのことを忘れてしまった。その慟哭が見る者の胸を刺す。

残念ながら、もはやこの手の話はスクリーンに乗ることもなくなった。80年代からは若者がきれいな青春をいかにして奪われてしまったかが戦争映画の肝になり、なぜか戦争の悲惨さや醜さまでもが戦争映画から消えていった。立派な海軍の将軍、戦闘機のパイロット、特攻隊の若者たち・・・「美しい」戦争だけが我々の戦争観になってしまった。

改めて言うが、戦争で99.9パーセントの人は英雄的になど死ねない。近代戦では高性能な機関銃や爆弾によって機械的に処理されてしまう。
なんの価値もなく死んでいく。それが戦争だ。戦争にとって、兵士の死などはなんの意味も、なんのドラマも持たない。誰もこれが分かってない。



いつだったか、最前線のはずなのに「生きて帰ろう」などと青年たちが至極真面目な顔で語り合う戦争映画を見たが、改めて思うがあんなことを口走ったが最後、カニバリズムまっしぐらである。

生への欲求も極限まで削り取られた状況で「生きて帰ろう」などと希望を持ってしまえば、もはや生還するためにはあらゆる手段を問わず、あらゆる倫理観も道徳も取り払われて人の肉を食うことも正当化してしまうはずだ。


「人間はなんでもやる」、というのが傑作と呼ばれる戦争映画に必ず描かれているテーマだ。これが抜けている映画は興行的には成功しても、真の意味で傑作や怪作と呼ばれることは少ない。ついでに「無常感」もこれにまた然りである。

正直言って、直視できないシーンが非常に多い。本当は目を背けてはいけないのだが、これはまかり間違ってもこの手の話題を知らない人に安易に見せてはいけない。実際の写真でカットインする、戦死した遺体、原爆で丸焦げになった遺体、遺体、遺体、遺体・・・これでもわずかに千分の一、万分の一の人々だ。あの戦争は日本人だけでも310万人もの戦死者を出した。
お食事の「後に」見ることだけは絶対にお勧めできない。体調の良い時に腰を据えてじっくり見よう。

日本という国、大日本帝国というかつて存在した国に手放しの愛国心を持つことは、この映画を見た後では断じてできないであろう。

よく考えてほしい。我々が思い描くあの戦争とは、本当にそんなに「美しかったのか」、と…。

軍旗はためく下に




余談


演出としてはスローモーションを多用したり、エコーをかけたりとなんとなくペキンパーっぽくも思える(戦争のはらわたとかこんな感じだった)。
けっこう威勢よく血しぶきがでるあたりもよく似ている。モノクロとカラーをうまく使いわけているが、キャメラも戦時中のシーンはハンディを、現代では望遠を主に使い、現像時の色合いにもこだわったそうだ。


軍旗はためく下に

富樫の部下、小針一等兵を演じた「寺田誠」という俳優。
現在の芸名は「麦人」。声優界の大御所の、意外な若手時代である。
そういえば「きけわだつみのこえ」にもてらそままさき氏が出てましたね・・・。

軍旗はためく下に

「フ→ジ→キ→ドォ↑」



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