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2016年06月17日

男たちの大和

2005年、日本。東映映画。
男たちの大和
なんだかなあ・・・という映画である。

大和に乗り組んだ男たちの物語である。

いつものストーリー紹介もこれだけで済んでしまう。
そもそも男たちの大和って大和は男しか乗れねぇだろ!!まあそんなどうでもいいツッコミも出てしまいます。


とにかくBGMとキャプションがうるさすぎる。
ドドーン!!泣くとこ!ドバーン!!ババーン!!泣くとこ!テレ~レ~泣くとこ!

うるさいんだよ!話に集中できねぇだろ!どんだけ泣かせてえんだよ!

まったく酷いです。久石譲の無駄遣いとしか思えん・・・。

細かいこと言ったらキリがないんですが…とにかく演出て言いますか台本ですか、あまりにひねりがなさすぎです。
普通にドラマとして面白くない。

俺が一番ダメだったのは、士官たちが自分たちはなぜ死ぬのか言い合いになって殴り合うところ・・・演出もひどいけど、とにかくもうちょっとマシな部屋は用意できなかったのかと・・・なぜそこもハリボテの部屋なのかと・・・。

大和がチャッチイだのなんだとは言いません。セットに実物同様に鋼板を使ったら20億程度では済まないからです。
それに昔から日本は特撮を得意としてきました。マジの軍艦を引っ張り出さずとも良い映画を作ってきたはずです。
この映画の出来はセットがどうのと言うよりは単純に脚本と演出、それに役作りに足を取られた感が否めないでしょう。


軍人=むやみに叫ぶという概念はいい加減考えてほしいものです。ただワーワー叫んでるだけではただのうるさい人でしかありません。
海の男らしい人物は一人としておらず、こんななまっちょろい兵隊がいるもんかと閉口します。思い出作りの映画にしか見えません。
この点、後年の山本五十六は(一部を除いて)とても良かったのですが・・・逆にフォックスではアホみたいにのんびりとして余裕しゃくしゃくの日本兵がタッポーチョ山に籠ったりしてましたね。女に銃の撃ち方教えてたりとか…実際がどうだったかは知らんが人の肉食って生き延びようとしたニューギニアやフィリピン戦役の底なしの地獄とは程遠かった。
「チクショォォォァアアアア」とか叫びながら真っ白な歯を輝かせるのもいつもの日本映画。もうコメントする気も出ない。

アクションシーンもとにかく特殊効果すげぇだろ!と見せびらかしたいのか長すぎる。血しぶきと爆発は結構なのだが、しつこすぎて萎える。VFXの宣伝は他所でしてほしいものだ。
あれでプライベート・ライアンに並ぶクオリティなどとは言い過ぎだ。ぶちまけりゃいいってもんじゃないし、プライベート・ライアンでもそこまでぶちまけない。

男たちの大和



さて、菊水作戦は日本海軍の汚点と言うべき作戦であったことはもはや疑いようがない。

動ける艦艇を集め沖縄に突撃、浅瀬に乗り上げて砲台になれなどとはプロの軍人が考え付いたとは到底思えない。
追い詰められてこそ真価を発揮した欧米の軍隊と違い、日本は追い詰められたら考えることすらできないレベルだったと言わざるを得ないだろう。
悠久の大義、故国の礎、一億総特攻のさきがけ・・・そんな言葉で納得できただろうか。これから意味もなく死んでくださいと言われる兵の気持ちが分かるだろうか。多くの兵たちは悔しかっただろう。

あの作戦はヤケクソなのである。
何もできなかったよりかは何かやりましたという証拠作りのため、海軍のメンツのために菊水作戦は実行された。メンツを何よりも重んじる実に日本らしい発想だ。死んでいく3000もの人間への配慮など微塵もない。
この映画はそんな男たちの負けて輝く美学みたいなのを描きたいのだろうが、我々がしなければならないのは彼らの気高さをやたらと礼賛することではなく、二度とこんな作戦が起きない世の中を作ることである。

長嶋一茂が「日本が負けて、もう一度立ち上がるために俺たちは死ぬ。本望だ」みたいなことを先述の喧嘩を仲裁してからのたまうが、
あんなことを本気で思ってる人間がどれほどいたのだろうか。
いくら軍人とは言ってもいまから意味もなく死にますけど、なんで死ぬかは考えといてねなんて言われて気持ちよく戦死できるのか?
そんなに人間は美しく死ねるか?未来の日本のため?彼らはあの当時、彼らの人生を生きていたのだ。誰だって生きられるなら生きたかっただろう。当時の教育や価値観はそれを許さなかった。しかし彼らも人間だ。無意味と分かっている特攻出撃に際して、「日本の未来のため」と簡単に納得できるのだろうか。彼らだって今、1945年を生きている日本人なのだ。葛藤は深く、苦しかったことだろう。神風特攻隊のパイロットたちは目をかっぴらいて出撃前の一晩を過ごしていた、目を閉じれば死の恐怖に呑まれてしまうからだ。

これが大和以下、菊水作戦に投じられた軍人たちに突きつけられた現実だ。
随伴した朝霜という駆逐艦にいたっては、戦闘の途中で艦隊から落伍して孤立し、200人あまりの乗組員が全員戦死したためどこでどう戦ってどう死んだかもいまだに分かっていない。
あれが悠久の大義か?日本の礎なのか?
とてもそうは思えない。こんな作戦を通した時点で、日本軍という組織がいかに慢心して作戦指導をしてきたかうかがえる。

残念ながらこの映画でそこまで葛藤してそうな奴は一人もいなかった。




反町が襟を立ててるだのどうだのとかアウトオブ眼中でした。そんなところにまず目がいかなかった。総じて役者も役作りが甘く、たどたどしい広島弁を使うくらいなら標準語でもよかった。映画の出来というのはそういうところではないのだ。豪華なセットや広島弁や凛々しい軍服があれば良い映画か出来るのかといえばそうではないのだ。

男たちの大和

俺は次々と血に染まっていく兵たちを見て別の意味で涙が出そうだった。こんなむちゃくちゃな死があるだろうか。
「戦死」=美しいというたった一本の御旗で、彼らの死は総括されてしまっている。総じて意味のある、気高い死なのだと伝えられている。
それが本当に正しいことなのだろうか。全員が全員素晴らしかったと?それこそ戦死者への冒涜ではないのか?
「軍旗はためく下に」のように、格好良く、素晴らしく、意味のある戦死を遂げられなかった数多の死者がいる。
その現実を無視して「私たちの平和があるのは彼らの犠牲のおかげ」などとは自分勝手にも程がある。
彼らの死を利用して、失敗だらけ過去から目を背けているとしか思えない。
昭和日本の失敗を「日本復活のための犠牲」などと言ってるうちは「反省」など夢のまた夢だ。負け惜しみもいい加減にしろと言いたい。

誤解のないように言っておくと、あの戦争で死した人々に「あなた方の死は無意味でした」と言いたいわけではない。


ただ、我々は彼らに無用の死を招いておきながら、その民族的な部分にある原因の究明に取り組まず、彼らが死んだことだけを「今の日本のために犠牲になってくださった」などと適当に美しく持ち上げて自慰にふけるのはいい加減にやめなければならない。
体面を守るためなら個人の不幸や死には頓着しないという日本の精神構造が戦争の時代に消滅したとはどうにも思えないのだ。罪や責任を感じて死んでいく者たちは平成の世になっても何人も現れた。彼が/彼女が一身に責任を引き受けてくれたのだ…ワイドショーを見ながらそう思ってはいないだろうか。
死した者にも人生がある。死ななかった人間にも責任がある。一人が腹を切ればそれは美しいことだという倫理観がいかに時代遅れなものであるか。
大和の悲劇を、日本の美しい散り際のように言ってはいけないのだ。

余談だが士官の一人が「陛下」を付けずに「天皇」とアッサリ呼び捨てたのは苦笑すら出なかった。
その言葉は場の空気を凍り付かせ、尊厳をもって発せられるべきと教え込まれた軍人にはあるまじき振る舞いであり、崩壊しかかっていたわきの甘いなんちゃって帝国海軍はついにこの一言で極まれりであった。



あとがき

原作の辺見じゅん先生はノンフィクション作家として高名な方である。原作を読んでいない以上はあまり語れないが、原因が原作にあるとは思えないのが正直なところだ。


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